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11月24日月曜日 世界宗教の常識。
女房の告別式も問題なく無事終わり、初七日の法要で寺の住職の話を聞き少し違和感を覚えたので宗教の勉強を始める事にした。

最近のヨーロッパ、アラブ諸国のテロも宗教がらみだ。

一神教は危険か:世界の常識キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を知り、現代を理解するために

一神教と多神教

ユダヤ教の開祖は、古代メソポタミア地方に生まれたアブラハムです。後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教はアブラハムの教えを基本としていて、そのためこの三つの宗教は別名アブラハムの宗教とも呼ばれます。

日本語でいう神の英訳は God ではない。Godの和訳は神ではない。

日本は八百万の神々の世界です。

神道は世界的に見てもきわめてユニークなもので、教義というものがありません。

初詣(1月)、節分(2月)、春祭り(4月)、海開き・山開き(7月)、秋祭り(10月)、七五三(11月)。定例の年中行事だけでなく家を建てるときの地鎮祭、子供が生まれればお宮参り、厄年になれば厄払い、受験の時の合格祈願、交通安全、お彼岸やお盆の墓参り・・・これらはほんの一例にすぎません。(お彼岸やお盆の墓参りは神道ではありません)

日本人になじみのある神話といえば、日本神話以上にギリシャ神話ではないでしょうか。どちらも多神教の神話ですが、ギリシャ神話で言えば最高神ゼウスと彼の妻のヘラ以下、太陽神アポロ、美の神ヴィーナス、海の神ポセイドン、音楽の神ミューズ・・・まったく、よくこれほどまでに神を作った(笑)ものです。ちなみに音楽の神ミューズは、音楽のMusicの語源でもあります

平安時代から戦国時代にかけての寺院は現在考えられるような平和的宗教団体ではなく、僧兵という言葉があるように武装した軍隊と言った方が正確

すっかり宗教に疎くなっている我々日本人は、かつて日本国内にあった宗教戦争をキレイに忘れているのです。少なくとも戦国時代以前の日本人は、宗教に関しては別の人種ではないかと思うほど『宗教的』だったのです。

日本人が宗教に疎くなったのは織田信長の戦いの結果なのです。ちなみに信長は戦いが終わった後、比叡山や本願寺への信仰を禁止してはいません。ですから信長の比叡山や本願寺との戦いは宗教戦争でも宗教弾圧でもありません。宗教弾圧とは、その後の豊臣秀吉や徳川幕府のキリスト教禁止令のように、その宗教を信仰することを禁止し、違反者には重刑をもって臨むようなことを言うのです。

 

  一神教 仏教 神道
信仰対象 唯一の神 如来、菩薩など多数。ただし神ではなく
人間が主体になる。
日本神話の神、土地の神、
動物、実在した人間など多数
(八百万の神々)
信仰の目的 神の教えに従って生活すること 解脱する、浄土で往生すること 神を畏れ敬うこと
戒律 ユダヤ、イスラムは厳しい 日本以外では厳しい ほとんどない
聖典 聖書、コーラン お経 ない
教義の拡大解釈 キリストを神とする宗派と
しない宗派がある
柔軟。拡大解釈は方便と言われる 非常に柔軟
死後の世界 ある ある(あの世) ある(黄泉国)
天国と地獄 Heaven、Hell 浄土、地獄 ない

多神教と一神教のどちらが良いとか悪いとか、優れている劣っている、ということはできないでしょうが、価値観を共有できる多神教の方が、違う価値観を認めない一神教よりは、より平和的だとは思います。

ユダヤ教が生まれた背景
ユダヤ教が生まれた背景には、ユダヤ人の逃亡生活からくる、不安定な日常という環境があったからです。
 
 エジプト記にあるように、エジプト人の奴隷だったユダヤ人はエジプトから逃げ出し、砂漠地帯を逃亡していたわけです。
 エジプトは今は砂漠化が進んでいますが、当時はナイル川を中心としてもっと豊かな地域だったわけです。

 そこから草木もろくに生えない荒れた砂漠地帯を逃げていったわけで、みんなで強力に一致団結して生きていく必要があったわけです。こういった神もいるとか、こうゆう考えもあるなどとみんなでばらばらのことを考えて生きていく余裕なんてなかったため、その強烈な思想統一が一神教という形で出てきたわけです。
反論
誤解されているようですが、信者数が多いだけで、一神教という宗教形態はユダヤ教その派生としてのキリスト教・イスラム教ぐらいです。信仰形態としては多神教の方が圧倒的多数です。
 「砂漠だから一神教が生まれた」のであれば、なぜ古代エジプトが多神教なのでしょうか。世界各地の砂漠や荒地で発生する宗教も「一神教」でなければ上記の説明も整合性が付きませんね。それ以前にイスラエルでもさまざまな神が崇拝されていて、それらの神の要素を受け継ぎながら、「唯一にして絶対なる<神>」の信仰が生まれた、ある意味で「特異な信仰形態」です。
 その「特異な信仰形態」である一神教と「普遍的信仰形態」である多神教とを同列にして、「生まれる環境というか、背景というか、生まれる要因」を論じること自体が難しいように思いますが。

 ちなみに「神」という用語ですが、広く宗教上における、信仰・崇拝の対象(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教における「唯一にして絶対なる<神>」や仏教の「仏」、神道の「カミ」、道教の「天」など)を意味する用語として使用する場合と、実際の信仰の対象としての神とを混同してはいけません
 つまりユダヤ教(キリスト教・イスラム教)の「唯一にして絶対なる<神>」に対しても、便宜上、神という訳語を与えていますが、この「唯一にして絶対なる<神>」と神道における「カミ」は異なるものです。神の概念は宗教によって異なり、また同じ宗教であっても教義・宗派によってまた変わってくるので、用語としてのとらえ方に気を付けてください。

 

去年ベストセラーになった「バカの壁」(養老孟司著)には、一神教は都市宗教で、多神教は自然宗教と書いてありました。

都市宗教が一元論化する理由が、都市の人間は精神的に弱いので頼るものを求める。それに対して百姓は土地があるから強いと書いてありました。

確か、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教にしても、もともとはヘブライの信仰からの宗教であって、もともとは同じなのに争いあうなんて、おかしい話ですよね。

あと、日本のアニミズム(多神教)だと、この川にはこの川の神様がいて、その土地にはその土地の神様がいる信仰です。「千と千尋の神隠し」の世界ですね。一神教と違う点は、神や精霊なども人間と同じ世界に住んでいるという点です。一神教は、都会の神なので、多くの人をまとめるために好都合。いわば政治的な意味が強いです。そのためにも、われわれ人間よりも次元の高い、到底及ばない存在を神として、神は常に見ている、悪いことをしてはいけない、良いことをしよう、それで罪が償われるみたいなことになったんだと思います。
なので、神と一言に言ってもいろんな概念があります。宗教によりけりです。

 

11月25日火曜日 仏教とヒンズー教の違い。

2008/2/2616:40:38

どちらの宗教のおおもとになるバラモン教は紀元前1000年頃に成立します。この宗教はカースト制を伴って支配層に有利に働きました。

紀元前400年頃にバラモン僧の腐敗の元、宗教改革で出来上がったのがジャイナ教と仏教です。ジャイナ教は商人層に拡がり、仏教は支配階級層に拡がりました。

仏教が民衆に布教のためにインド土着の神様が仏教に帰依したという内容で民衆に拡げました。それが○○天と呼ばれる神様です。

殆ど全てがインドの神様です。その中でブッダはヴィシュヌ神の生まれ変わりとして描かれました。輪廻転生がインドの宗教観である以上、ヴィシュヌ神も生まれ変わるのです。

この事実はインドのどこのお寺の絵で見られるとおりです。この頃のバラモン教の信者が少なくなり、信者獲得のためにインド土着の神様を取り入れることになります。

これがヒンズー教の成立です。この頃のヒンズー教や仏教やジャイナ教の区別は殆どありません。大きな違いはヒンズー教がカーストを認めるのに対して残り2つはカーストを認めません。ローマ帝国がキリスト教を国教にするまでのユダヤ教とキリスト教の違いがないのと同じです。

違いはキリストを神の子とするかしないかの違いですね。インドの国教は仏教でした。ところが13世紀頃からインドでイスラム国家が成立するようになります。

この頃から仏教とイスラム教の争いが激しくなります。16世紀にムガール帝国がインド全土を制圧すると仏教を支持する層がいなくなります。

民衆はいままでのヒンズー教を信仰していたので仏教やジャイナ教を信仰している人たちもイスラム教から見たらインド人という意味でヒンズーと呼ばれ、その宗教でヒンズー教と呼ばれるようになります。

この頃からヒンズー教の教義が少しずつ変わります。イスラム教とヒンズー教が一緒になったシーク教も生まれます。
ブッダもヴィシュヌ神の生まれ変わりですがこの時は悪魔にだまされたのだと言うのが今のヒンズー教でのブッダの扱いです。

同じ宗教でも敵が変わったので複雑ですよね。さて、1947年にインドとパキスタンが宗教問題で分裂して独立します。
この時、インドでは宗教は法律でヒンズー教と定められます。ヒンズー教の一派としてジャイナ教、仏教、シーク教も同じ扱いになります。

イスラム教とキリスト教は別扱いです。そのことがインド内で宗教対立を起こすことになっています。インドにも仏教徒はいます。殆どが最下層に人たちです。

仏教はカーストを認めませんのでそこに救いを求める人たちが改宗したからです。

 

一番の違いは『生命は永遠』かどうか・・・の解釈だと思います。
ヒンズー教の元となったバラモン教は、「輪廻の法則」といって、すべての命は生まれ変わると説いています。
正しい生き方をすれば、来世は幸せになる、悪いことをすれば不幸になったり、虫などの卑しい生き物になってしまう。
そこでカースト制度のどこに位置するかは、前世の生き方次第というのです。

この輪廻が、仏教の考えとする人は多いのですが、私は違うと思います。
バラモン教の矛盾と弊害が出ていた時代、ブッダはこれを真っ向から否定し「この世に永遠のものなんかない」「生まれ変わりなどない」命だっていつかは終わる。

それなのにもっと生きたいなどとあがくのは、無駄だと説いたのです。生きることへの執着を断ち切ったとき、人は煩悩から逃れ、悟りを開くのであって、この境地に至ることを成仏と言うのです。成仏とは、死ぬことでもないし、成仏するために苦しい修行も必要ないのです。だからブッダも亡くなったとき、バラモン式の葬儀で葬られたのです。

後に仏教が廃れて、ヒンズー教に飲み込まれたあと、中国の僧たちがインドに訪れ、輪廻や曼荼羅の宇宙観と言うヒンズーと混ざった仏教を伝えたことで、本来のブッダの教えが薄れてしまたのだと思います。

人生について、神について安心して質問できる場所

マリリン・アダムソン

私たちはだれでも自分の人生がある程度の成功を収め、充実したものとなるようにと願っています。そして、もし人生を満たされたもの、意味あるものとする術を知っている人がいるなら、チェックする価値があるのではないでしょうか。たとえば、世界の宗教について調べてみてはいかがでしょうか。それらの中に私たちの人生に安定と価値を与えるものが何かあるのではないでしょうか。

世界の主な信仰体系、たとえば、ヒンズー教、ニューエイジ、仏教、イスラム教、そしてキリスト教について見てみましょう。*各々の簡単な概略、特徴、そこから人が得ることのできるものについて見ていきましょう。そして、世界の宗教とイエスの教えがどのように違うのか考えていただきたいと思います。

ヒンドゥー教
バラモンは不動の地位をえた。
 このようなヒンドゥー教の形成にあたり、司祭老バラモンはどのような役割を演じたのであろうか。
 もともとバラモンは、アーリヤ人の宗教の指導者であると自負し、先住民の信仰を拒絶していた。

その後、仏教やジャイナ教などの非正統派が興ると、かれらはこれに圧倒され受け身に回った。つぎにかれらは、シュードラ以下と蔑視していた異民族の支配下に入るという屈辱をあじあった。バラモンにとって不本意な時代がつづいたのである。

バラモンたちはこれらの危機に対処し退勢を挽回するため、自分たちの宗教、つまりバラモン教の大衆化(ヒンドゥー教化)という手段を選んだ。非アーリヤ的な土着の神々を崇拝の対象として受け入れたのも、シュードラへの宗教的サーヴィスを始めたのも、そうした苦心の現れである。

さらに偶像崇拝、寺院参詣、聖地巡礼、プージャーといった大衆的な信仰形態が、バラモンたちに受け入れられた。かれらは時代の状況に応じて自分たちの宗教を変質させ、非正統派を退けるとともに、地位と特権を守ったのである。
ヒンドゥー教徒の生はサンスカーラと呼ばれる通過儀礼の連続である。

それらは結婚後に新郎・新婦つまり両票行う受胎式ー息子を妊娠するよう祈願する儀礼ーに始まる。この世に生を享けてからは、誕生式、命名式、食い初め式などとつづき、入門式、結婚式などを経て葬式にいたるのである。さらに、死後には祖霊として子孫たちから祭られた。祖霊の祭り子孫たちにとって最も重要な宗教的義務とみられている。

不可触民など最下層の家を除くヒンドゥー教徒の家では、こうした家庭の祭事にバラモンを司祭者として招くことになっている。したがってバラモンとヒンドゥー教徒の家とは、わが国の家と檀家の関係を幾重にも強化したような関係で結ばれているのである。どの村にも、村人の祭事を先祖代々執り行ってきたバラモンの家族が住んでおり、大きな村の場合は、幾人ものバラモンが村の家々の祭事を分担している。

 

カースト制度は、バラモンの地位は守るが、金・地位・いい女という私権の独り占めは出来ない。

一方、クシャトリア、商人、王侯は、私権をどれだけ得ても、バラモンにはなれない。権利の1極集中を避ける制度といえます。

私権を得た王が神格化してゆく西洋はもとより、中国の皇帝とも異なることが大きな特徴と言えます。

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